11月12日配信 米国大統領選前後のローマ法王発言のなぜ

12日は、アメリカのトランプ大統領就任に関連し、

イタリア紙レプブリカのインタビューで、

ローマ法王が「一般論として」との前置き付きで、語った言葉から、

アメリカのキリスト教徒の割合、

そしてカソリックプロテスタントの割合について話しました。

 

選挙戦中と、その後でアメリカ大統領選の候補者に関して話しているんですよね。

もちろん、インタビューをされたら応えるというのが前提にあるのでしょうが、

日本は一応政教分離が前提としてあって(公明党がありますが、公明党政教分離を前提としていますので・・・)、宗教指導者がこういう話に関わってくるって

なんだか不思議です。

でも、学校で習ったヨーロッパの歴史を振り返ってみれば、

キリスト教はずっと政治と結びついているんですよね。

いや、日本の仏教だって、ずいぶん色々ありましたね。うん。

日本の場合、憲法政教分離が謳われているから、

もしかしたら教育によって他の国と比べて感じ方が違うのかなあ、、、

なんて思います。

 

アメリカのキリスト教徒、宗派の割合を上げましたが、

ローマ法王のアメリカでの発言力ってどのくらいあるものなんでしょうね。

地場であるヨーロッパではその強さは途方もないものだと思いますが。。。

そうそう、

むかーしアメリカではボストン茶会事件なんかもありましたが、

あのころのアメリカにイギリス国教会の信者ってどのくらいいたのでしょうね


スマホアプリ、VOICYで配信中。

10月23日配信 養殖海苔の種付けと、海を越えた研究者の絆について

有明海で、養殖ノリの網を張り込む「種付け」が解禁され、

海苔の胞子を蓄えた牡蠣殻をつるした網を海に立てられた養殖場の支柱に

広げたというお話しに合わせ、海苔の養殖について話させていただきました。

 

海苔は、古くから養殖されていたのですが、

実は昭和の始めまで、夏の間の生態が「謎」とされていました。

海苔は夏をどう過ごすのかを発見したのが、英国の藻類学者の女性でした。

その彼女は、

海の開発が進み天然海苔から養殖海苔へと生産の舵を切らねばならなかった日本の

悩みを知っており、知り合いの藻類学者に夏の海苔の生態を伝えました。

その生態に関する発見は、ネイチャーに論文が載るほど大きなものでした。

 

英国と日本。

遠い異国で、連絡手段も不便で少ない中、同じ藻類の研究をしているとはいえ

親交があったというのは素晴らしい奇跡といえるのではないでしょうか。

 

情報を託された研究者は、牡蠣の人工採苗の研究をしていた研究者にそれを伝え、

人工採苗の研究をしていた研究者賛同者と共に私財を投じて海苔の人工採苗の

研究を行い、海苔の夏の生態が発見された4年後に成功しました。

 

研究者は特許を取らず、全国にノリ養殖が広まりました

もし、この何か1つのことが欠けていたら、

私達が今日のように海苔を気軽に食卓で食べることはできなかったのかもしれません。

だって、考えてみてください。

 

海苔は、夏の生態が不明だったうえ、

お歳暮でもやり取りされるようなものです。

実のところ、それだけ貴重品だったのだと考えていいと思います。

 

海苔の人工採苗による養殖が全国に先駆けて始まった有明海で、

今も牡蠣の殻が利用されているのは、過去の研究者への感謝の念が

こっそり隠れているんじゃないかな?なんて私は感じたりします。

 

この、海苔の人工採苗に成功したころ、

御木本幸吉も真珠の世界初の養殖に成功しています。

この数年は、日本の養殖の世界で大きな発見が続いた時代なのでしょうね。

 


国土技術政策総合研究所による「海岸管理の歴史的変遷」

http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0619pdf/ks061906.pdf

 

 

11月8日配信 神宮火災事件とネットでの忘れられる権利について

先日あった神宮のデザインウィークで、5歳の男の子が亡くなった事件と、
ネットでの忘れられる事件についての話。

ネットで事件が起きた時の情報はいつまで、
どのように残すべきでしょうか。

例えば新聞は、紙というものに印刷されて何かしらのニュースを人に伝えます。

新聞は、紙に縛られている為(だから私は大好きですが)、

常に、いつの事件であるかわかるメディアです。
あまり知られていませんが、1行でも新しい情報がなければ、

続報というものを出すことができません

そのため、日付で追えば最新情報がいつのものかわかります。

 

一方、インターネットは、時間軸に縛られないメディアです。
ニュースを出す人もブログを書く人も混在し、

タイトルだけを変えて常に新しい顔をしているニュースが沢山あります。
発信者の考え方の違いも見えますが、事実を追おうとしたときに

どのニュースが最新の事実をまとめたものかよくわからなくなります

どのニュースも、常に新しく見せることができるからです。

何年も前にミクシーで流行っていた動画が、

FBで「初めて見た!」と、数年後に流行ったりするのも同じようなものだと思います。


これは、メディアの特徴だから、仕方のないことだと思います。

とはいえ、ある程度規制というか、ネットに出した情報を常に最新にしないように

行動することを考える時代になってきているのではないのでしょうか。

 

昨年のことだったと思います。

FB上で行方不明の子を探すシェアがありました。

私は、本当にその子が「いるのか」「現在も行方不明か」を確認し、

友人達へ向けシェアをしました。

シェア後、1か月ほどして、たびたび情報を確認していた私は

行方不明のニュースがあった子が、無残な姿で見つかったことを知りました。

そして、シェアした情報を削除しました。

 

しかし、それから数日して

ふと、友人のシェアに気が付きました。

友人は、行方不明の子を探すシェアをしていました。

すでに悲しい結果の出てしまった事件だというのに、

好意でシェアをしていました。

 

このとき、私はゾッとする思いにかられました。

私は、その情報を確認していましたが、確認しなければ、

その情報がどうなったかなんて私にはわかりません。

けれど、その情報自体は、中身が古くてもネットにあれば

常に「今」の情報だと勘違いされ、拡大されていくのです。

 

これ、すごく恐ろしいことですよね。

このとき、悲しい結末に終わりましたが、

もし行方不明の彼女が無事に戻ってきた時にもそのシェアがずっと

拡散されていくかもしれないことを想像してみてください。

 

その時の彼女が10歳だったとして、20、30、40、50になっても

誰かの好意でシェアされていく10歳の彼女が行方不明になったという情報は、

彼女の本来歩める日常生活を常に脅かす可能性や、

同時に何年たっても解決されたことが周知されず「誘拐された子ではないか?」

と、思われる危険性が高いと感じました。

 

そうしたことから、例えば、行方不明などに関しては、

事件が一端の結果が出た時点でネット上の少なくとも「画像・動画情報」は

無くなるような仕組みができるべきではないかと思います。

 

またそれと同じく、

今回の神宮の事件のように「人が亡くなった場所」に関して、

画像や動画が上がりにくくなるようにできないかと、私は願います。

 

画像や動画は、とても情報量が多いものです。

当初は報道の意味もあるのでしょうが、

亡くなった方の周囲の人にとり、そうした情報は強く喪失を想起させるもの

なのだと感じます。

 

だから、悲しい記憶の残る場所についての記事などで、

最初は報道ですからともかく、しばらくしたらクリックしないと画像が出なくなるとか

何かしらのワンクッションを、発信者それぞれがどこかの誰かへの思いやりとして考えることができるようになったらいいのにと思います

 

この日、ネット上の忘れられる権利についての訴訟や、

その状況についても話しましたが、

大きな組織であってもネット上の情報を消しきることは困難です。

 

犯罪者や、被害者自身についての忘れられる権利についての

裁判などは多くの国で発生しています。

被害者の周りの人の心の傷を無くすような権利は、

戦って勝ち取るようなものではありません

だから、発信者の皆さんに考えてほしいのです。

その画像はいつまでも「今」の顔をさせてそこに置いておくべきものなのかと。

新聞などこれまでのメディアとは違うネットの世界では、

「過去」も「今」もおなじ時間軸にあるようなものです。

過去を知ること、発信すること、事実を多角的に見ること、

どれもとても大切なことだと思います。

だからこそ、

一度、考えてみてくださいませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めまして

はじめまして
AIです。
11月からVoicyというスマホアプリにてパーソナリティーを始めました。
ニュースに合わせて、できるだけ「その時」に限定されない情報を出していけたらと考えています。

内容は、こちらとあちらとリンクしつつ、やや違うものにしていきたいと考えています。(多分タイムラグはできてしまいますが・・・)

マイクを通して人に伝えるのは久しぶりで、まだこれからとは思いますが、
気が向いたら聞いてみてください。

これからよろしくお願いいたします。